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アヂスキタカヒコネ

アヂスキタカヒコネ
畏敬 A / 慈悲 E / 影響 B / 知名 D

アヂスキタカヒコネは大国主命と宗像三女神のタキリビメの間の子。同母の妹にタカヒメ(シタテルヒメ)がいる。迦毛大御神(かものおおみかみ)。
幼い時、その泣き叫ぶ声が非常に大きかったので静かになるまで船に乗せて八十島(日本)を巡ったり、高屋を作って梯子をかけ、それを上り下りさせたりした。天御梶日女(あめのみかじひめ)との間に雨の神である多伎都比古(たきつひこ)をもうけた。やがて葦原中国平定において登場。シタテルヒメの夫で高天原に復命しなかったために死んでしまったアメノワカヒコの葬儀を訪れたが、アヂスキタカヒコネはアメノワカヒコとそっくりであった為、アメノワカヒコの父のアマツクニタマがアメノワカヒコが生きていたものと勘違いして抱きついてきた。アヂスキタカヒコネは穢わしい死人と一緒にするなと怒り、剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。シタテルヒメはアヂスキタカヒコネの名を明かす歌を詠んだ。

神名の「スキ(シキ)」は鋤のことで、鋤を神格化した農耕神。天地を行き来する姿や激情ぶり、泣き叫ぶ声の大きさや梯子を上り下りする姿は雷を表したものであり、アジスキタカヒコネは鋤と雷の霊力を合わせた神である。
別名は賀茂社の神の意味である。「古事記」で最初から「大御神」と呼ばれているのは、天照大御神と迦毛大御神だけである。
現在では農業の神、雷の神、不動産業の神として信仰されている。

・アヂスキタカヒコネを祀る主な神社
高鴨神社(奈良県御所市)
都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町)
鴨神社(岡山県玉野市長尾)
Date: 2012.02.26 Category: 日本の神々 Comments (0) Trackbacks (0)

秋山之下氷壮夫

秋山之下氷壮夫
畏敬 E / 慈悲 E / 影響 D / 知名 E

秋山之下氷壮夫(あきやまのしたびをとこ)は八十神がいとめることの出来なかった伊豆志袁登売神(いづしをとめのかみ)を兄の春山霞壮夫(はるやまのかすみをとこ)と争い賭けをしたこと、結局は春山霞壮夫の母親の協力により伊豆志袁登売神と結ばれなかったこと、秋山之下氷壮夫が約束をやぶって賭けを反故にしようとした時も春山霞壮夫の母親の協力をもってその賭けを成立させられた。
秋山下氷壮夫とは秋の山に霜がおりている様を神格化したものと言われる。「春」の祭祀によって「秋」の豊穣が与えられることを象徴されている。
Date: 2012.02.20 Category: 日本の神々 Comments (0) Trackbacks (0)

大国主

大国主
畏敬 B / 慈悲 A / 影響 A / 知名 B

大国主(おおくにぬし)は日本神話の中で出雲神話に登場する神。スサノオの息子。大国主神(おおくにぬしのかみ:大国を治める帝王の意)とも呼ばれる。
スサノオの後にスクナビコナと協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、葦原中国の国作りを完成させる。国土を天孫ニニギに譲って杵築(きづき)の地に隠退、後に出雲大社の祭神となる。
因幡の白兎の話、根の国訪問の話、ヌナカワヒメへの妻問いの話、国作り、国譲り等の神話が「古事記」「日本書紀」に記載されている。

大国主は色々な女神との間に多くの子供をもうけている。子供の数は180~181柱。別名の多さや妻子の多さは明らかに大国主命が古代において広い地域で信仰されていた事を示し、国造りの神、農業神、商業神医療神などとして信仰されている。又「大国」はダイコクとも読めることから、同じ音である大黒天(大黒様)と習合して民間信仰に浸透している。

・大国主を祀る主な神社
出雲大社(島根県出雲市)
出雲大神宮(京都府亀岡市)
大神神社(奈良県桜井市)
気多大社(石川県羽咋市)
気多本宮(石川県七尾市)
大國魂神社(東京都府中市)
大前神社(栃木県真岡市)

また北海道神宮(北海道札幌市)をはじめ北海道内のいくつかの神社では、「開拓三神」として少彦名神と共に祀られている。
Date: 2012.02.16 Category: 日本の神々 Comments (0) Trackbacks (0)

スサノオ

スサノオ
畏敬 S / 慈悲 C / 影響 A / 知名 A

スサノオは日本神話に登場する神で、神産みにおいて伊弉諾尊(伊邪那岐命:いざなぎ)と伊弉冉尊 (伊邪那美命:いざなみ)の間に産まれた三貴子の末子に当たる。その与えられた役割は、太陽を神格化した天照大神(あまてらす)、月を神格化した月夜見尊(月読命・つくよみ)とは少々異なっている。 統治領域は三貴神のうち天照大神は高天原であるが、月夜見尊は滄海原(あおのうなばら)又は夜を、素戔嗚尊(スサノオ)には夜の食国(よるのおすくに)または海原を治める。
スサノオはそれを断って母神伊邪那美のいる根之堅洲国に行きたいと願い、伊邪那岐の怒りを買って追放されてしまう。そこでスサノオは根の国へ向う前に姉の天照大神に別れの挨拶をしようと高天原へ上るが、天照大神は彼が高天原に攻め入って来たのではと考え武装して彼に応対し、彼は疑いを解くために誓約を行う。誓約によって潔白であることが証明されたとしてスサノオは高天原に滞在するが、そこで粗暴な行為をしたので天照大神は天の岩屋に隠れてしまった。その為、彼は高天原を追放された(神逐)。

出雲の鳥髪山(現在の船通山)へ降ったスサノオは、その地を荒らしていた八岐大蛇(八俣遠呂智)への生贄にされそうになっていた少女櫛名田比売(奇稲田姫・くしなだひめ)と出会う。スサノオは、櫛名田比売の姿形を歯の多い櫛に変えて髪に挿し、八俣遠呂智を退治する。そして八俣遠呂智の尾から出てきた天叢雲剣を天照御大神に献上した。その後、櫛から元に戻した櫛名田比売を妻として、出雲の根之堅洲国にある須賀の地(島根県安来市)へ行きそこに留まった。
その地で大国主命などを産ませ、木がないと子が困るだろうと言って体毛を抜いて木に変え、種類ごとに用途を定め、息子の五十猛命 、娘の大屋津姫命(おおやつひめ)、枛津姫命(つまつひめ) に命じて全国に植えさせた。
根の国のスサノオの元にやってきた葦原色許男神(あしはらしこを、後の大国主命)は、スサノオの娘である須世理比売(すせりひめ)と互いに一目惚れするが、スサノオは葦原色許男神に様々な試練を与える。葦原色許男神は須世理比売の助けを得ながらそれらを克服したので、スサノオは葦原色許男神に、須世理比売を妻とすることを認め大国主という名を贈った。

スサノヲの性格は多面的である。母の国へ行きたいと言って泣き叫ぶ子供のような一面があるかと思えば、高天原では凶暴な一面を見せる。出雲へ降りると一転して貴種流離譚の英雄的な性格となる。又、日本初の和歌を詠んだり、木の用途を定めたりなど文化英雄的な側面もある。

・主祭神としている神社
八坂神社(京都府京都市東山区)
廣峯神社(兵庫県姫路市)
津島神社(愛知県津島市)
氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)
須佐神社(島根県出雲市)
八重垣神社(島根県松江市)

八坂神社と廣峯神社はともに祇園社の総本社を名乗っている。
Date: 2012.02.12 Category: 日本の神々 Comments (0) Trackbacks (0)

ヤマトタケル

ヤマトタケル
畏敬 B / 慈悲 B / 影響 A / 知名 A

ヤマトタケルは記紀に登場する皇子でヤマトタケルノミコトとも呼ばれ、第12代景行天皇の皇子・第14代仲哀天皇の父とされる。
父の寵妃を奪った兄大碓命(おおうすのみこ)に対する父天皇の命令の解釈の行き違いから、小碓命(おうすのみこと)は素手で兄をつまみ殺してしまう。そのことで小碓命(ヤマトタケル)は父に恐れられ疎まれて九州の熊襲建兄弟の討伐を命じられる。わずかな従者しか与えられなかったヤマトタケルは、まず叔母の倭姫命が斎王を勤めていた伊勢へ赴き女性の衣装を授けられる。このとき彼はいまだ少年の髪形を結う年頃であった。
九州に入ったヤマトタケルは熊襲建の新室の宴に美少女に変装して忍び込み、宴たけなわの頃を狙ってまず兄建を斬り、続いて弟建に刃を突き立てた。誅伐された弟建は死に臨み、その武勇を嘆賞し自らをヤマトヲグナと名乗る小碓命に譲って倭建(ヤマトタケル)の号を献じた。

その後ヤマトタケルは出雲に入り、出雲建と親交を結ぶ。しかしある日、出雲建の太刀を偽物と交換した上で太刀あわせを申し込み殺してしまう。西方の蛮族の討伐から帰るとすぐに景行天皇は重ねて東方の蛮族の討伐を命じる。ヤマトタケルは再び倭姫命を訪ね、父天皇は自分に死ねと思っておられるのかと嘆く。倭姫命はヤマトタケルに伊勢神宮にあった神剣天叢雲剣(草薙剣)と袋とを与え、「危急の時にはこれを開けなさい」と言う。
ヤマトタケルはまず尾張国造家に入り、美夜受媛(宮簀媛)と婚約をして東国へ赴く。相模の国で国造に荒ぶる神がいると欺かれたヤマトタケルは、野中で火攻めに遭ってしまう。そこで叔母から貰った袋を開けたところ、火打石が入っていたので草薙剣(天叢雲剣)で草を掃い、迎え火を点けて逆に敵を焼き尽くしてしまう。それでそこを焼遣(やきづ=焼津)という。

相模から上総に渡る際、走水の海(横須賀市)の神が波を起こしてヤマトタケルの船は進退窮まった。そこで后の弟橘媛が自ら命に替わって入水すると波は自ずから凪いだ。入水に当たって媛は火攻めに遭った時の夫ヤマトタケルの優しさを回想する歌を詠む。弟橘姫はヤマトタケルの思い出を胸に、幾重もの畳を波の上に引いて海に入る。七日後、姫の櫛が対岸に流れ着いたので、御陵を造って櫛を収めた。
その後ヤマトタケルは足柄坂(神奈川・静岡県境)の神を蒜で打ち殺し、東国を平定して四阿嶺に立ち、そこから東国を望んで弟橘姫を思い出し、「吾妻はや」(わが妻よ・・・)と三度嘆いた。そこから東国をアヅマ(東・吾妻)と呼ぶようになったと言う。その後、科野(しなの=長野県)を経てヤマトタケルは尾張に入る。
尾張に入ったヤマトタケルはかねてより結婚の約束をしていた美夜受媛と歌を交わし、その際媛が生理中であることを知るがそのまま結婚してしまう。そして伊勢の神剣草薙剣(天叢雲剣)を美夜受媛に預けたまま、伊吹山(岐阜・滋賀県境)へその神を素手で討ち取ろうと出立する。
素手で伊吹の神と対決しに行ったヤマトタケルの前に白い大猪が現れる。ヤマトタケルはこれを神の使いだと無視をするが、実際は神自身の化身で大氷雨を降らされ命は失神してしまう。山を降りたヤマトタケルは居醒めの清水で正気をやや取り戻すが、すでに病の身となっていた。弱った体で大和を目指して、当芸・杖衝坂・尾津・三重村(岐阜南部から三重北部)と進んで行く。そして、能煩野(三重県亀山市〉に到ったヤマトタケルはついに「倭は国のまほろば・・・」以下の4首の国偲び歌を詠って亡くなるのである。

ヤマトタケルの死の知らせを聞いて、大和から訪れたのは后や御子たちであった。彼らは陵墓を築いてその周りで這い回り、歌を詠った。するとヤマトタケルは八尋白智鳥となって飛んでゆくので、后たちはなお3首の歌を詠いながらその後を追った。これらの歌は「大御葬歌」(天皇の葬儀に歌われる歌)となった。
Date: 2012.02.07 Category: 日本の神々 Comments (0) Trackbacks (0)
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